どこに行くかもわからないのに、荷物をまとめて移動しろ」という命令で戦場に送られた後、約束の傷病手当金が支払われなかった>【木村正人(国際ジャーナリスト)】。
マリウポルの親ロシア派兵士(2022年5月) Alexander Ermochenko-REUTERS
[ロシア軍がウクライナに全面侵攻した今年2月、南部チェルソンに派遣されたロシア空挺部隊のパヴェル・フィラティエフ(33歳)が今月1日、141ページの手記『ZOV』を自身のSNSで公開した。また、調査報道を目的としたロシアの独立系サイト「iStories(Important Stories)」にも取り上げられた。
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ロシア南西部のヴォルゴグラード出身で、2010年にチェチェン共和国に派遣された。その後、馬の調教師として働いていたが、失業してお金がなくなり、昨年8月、再び兵役の契約を結んだ。ヘルソンの戦線に落下傘部隊として送られたが、行き先すら知らされなかった。フィラティエフさんは、目のケガで軍を除隊している。
戦争という言葉を口にすることは禁じられていた。でも、これは戦争なんです。ロシア軍がウクライナ軍を銃撃し、ウクライナ軍が反撃し、砲弾やミサイルが爆発する。その過程で、両軍の軍人が殺される。特殊作戦と称して戦争を始めた場所に住んでいた民間人も殺された」と回顧録に書いている。ZOV」は、ロシアの軍用車両に描かれた「Z」にちなんでいます。
手記によると、2月20日頃、フィラティエフの部隊は、行き先は分からないが、荷物をまとめて身軽に移動するようにと命じられたという。彼らが到着したのは、2014年からロシアが支配するクリミア半島北部のアルムヤンスク近郊のキャンプ。部隊は、クリミア半島南東部の訓練所自体に1カ月近く滞在していたため、すでに疲労困憊していた。
昨年10月、隊員たちが急性呼吸器系ウイルスに集団感染した。
昨年10月に支給されたユニフォームは、粗悪でサイズが合っていないものでした。落下傘降下訓練では、夜は凍えるような寒さで、誰もが息苦しさを感じていました。多くの兵士が防寒着を持っていなかった。翌日、目が覚めたら、熱と肺炎がありました。1週間で、私の部隊から約30人が急性呼吸器ウイルス感染症で入院しました」と、フィラティエフが告白する。
ロシア軍が本格的な侵攻を開始する前日の2月23日、師団長から「明日から日給約7000ルーブル(現在のレートで約1万5900円)を支給する」と打診された。これは、何か重大なことが起ころうとしている明らかな兆候であった」。翌24日午前2時頃、フィラチエフは装甲車の座席で目を覚ました。